罰走して強くなるのか?

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2軍で不甲斐ないプレーをした選手を、球場の周りをグルグル走らせる「罰走」をさせるという行為。こういう「指導」行為は指導者のレベルを下げるものだと思う。

「罰」という行為に効果があるのは意図的な悪い行為をした時だ。逆に意図的でない行為に罰を与えても意味がない。なぜなら意図的な行為でないため「罰を与えられないように、これをやるのをやめよう」という行動変容につながらないからだ。記事を見る限り、罰走させられた選手は、(彼なりに)きちんと準備して一生懸命プレーした結果、不甲斐ないプレーをしたように見える。であれば、罰を科しても次回も不甲斐ないプレーをする可能性は高い。「罰を与えられないように、次からちゃんとプレーしよう」でプレーの中身が改善するとは思えない。

yahooのコメント欄などを見ると、罰走に対して「精神力(とかやる気とか負けん気)を強化・改善させるために効果的である」といった形で肯定している人に出会う。これはつまり「プレーが基準に満たないのは本人の心の持ち方の問題」という見方だ。

2軍には行きたくないと思ってもらうため来季も罰走をバンバンやっていきたい。

と2つ目の記事内で言っているところをみると、阿部監督も同じような見方なのだろう。だが、実績のある選手ならともかく、ほぼ実績のない選手がやる気を出したところで、不甲斐ないプレーから抜群のプレーに変わるとは、普通思えない。そこらのおじさんが幾らやる気を出しても150km/hのボールを投げられないのと同じである。スキルや筋力が整っていないのに、いくらやる気が高くてもできないものはできない。

そもそも、2軍監督の役割というのは、選手の育成ではないだろうか。育成というのは「これまでできなかったことが、できるようになる」という状態に人をさせるという意味で。そうさせるためには、打撃なら打撃の、守備なら守備のスキルの指導が不可欠だろう。指導をするということは、一人一人について、目指す到達点や現状を話し合い、必要なスキルを磨くためのトレーニングを積ませることを意味する。これらを行う指導者には、傾聴・論理的思考力・伝達力・トレーニングを組み立てる能力・進捗管理能力など、多様な能力が必要となる。選手の実力不足を精神的な問題のみに落とし込む限り、指導者に必要な多様な能力は成長しない。罰走は一見厳しいトレーニングに見えるが、指導者が何も考えず何のスキルも磨かずに「指導」できるという点において、指導者に甘いトレーニングと言えるだろう。

 

最初の記事で

「ちゃんとテーマを持って挑んだ結果がこれだから、テーマの立て方も反省してほしい」

と阿部監督は述べていたが、テーマの立て方についてそのあとアドバイスを送ったのだろうか。「それも自分で考えろ」というなら、2軍監督の仕事って何?という話だ。