生の言葉で書くこと

 

若林正恭の著作で「表参道のセレブ犬~」と、次作の「ナナメの夕暮れ」は一読しただけだが、心に残っていた。今回、文庫版になり新しい内容が追加されたので、迷わず買った。

 タレントにせよ一般人にせよ、人のエッセイで心が動かされることは少ない。おそらく、語りが退屈だからだ。奇を衒って書いた文章は、その人の熱が込められていないから、言葉が上滑りしてしまう。あるいは、上滑りしないように書くと、どこかで聞いたようなうまいこと・きれいなこと・正しそうな言葉で埋め尽くされてしまう。どちらにしても退屈だ。

若林正恭のエッセイは、退屈でない。別に、見たことも聞いたこともないような事件が起こったりしないし、読んだことない斬新な文章で埋められているわけでもない。にもかかわらず退屈でないのは、語りが熟成されているからだ。何遍も心の中で悩み考え、凝縮され、濾過された来たような濃い語り。若林正恭という人間の温度が感じられる語りが、感動的だ。

巻末の解説でDJ松永が「生々しく生きていこう」と誓った、という文章がある。そう、若林の文章は生々しい。そして、ただ生々しいだけでない。思いついたことをその場で話すような生々しさではなく、思いついた言葉の奥にある生々しさの塊のようなものを投げかけてくる。その鋭さ、固さに、心を打たれるのだ。