結婚するには恋愛は重要だと思う


恋愛至上主義への皮肉たっぷりな月9ドラマ「デート」が面白すぎる|ゆがみちゃん|note

 

この記事(というか「デート」というドラマ)で語られている恋愛至上主義(=恋愛が他のどのような活動よりも重要度が高く、崇高な行為であるという考え方)の否定には共感できますが、恋愛と結婚が別物、という考えには納得出来ない。

 

ドラマ内で主人公たちは「かつては恋愛感情と無関係に結婚していた」「恋愛結婚が一般的になった現代の方が離婚率等が高い」ということを根拠として恋愛と結婚の関係性を否定している。その上で「恋愛感情を排した結婚という契約」の優位を述べる。でもそれは論理として正しくない。

かつての結婚はイエ同士の関係構築の手段やイエの存続の問題と関わっていると考えられる。そうであるならば、当人同士の気持ちなんてものは関係ない。結婚する主体は問題ではなく、「イエ」という主体が重要ならば、感情を無視して結婚できた(させられた)。離婚率の低さはイエというものを守るために女性がイエに隷属させられ、立場としても経済的にも自立していなかったからじゃないだろうか。

登場人物たちが「恋愛抜きの結婚は行われていた」という証拠として示してきた「結婚」は彼らの考える「結婚」とは異なる。彼らは「契約」というスキームで結婚を考えている。契約は自発的な選択が可能な個人間でのみ成り立つ。しかし、過去の結婚は自発的な選択が可能な個人が行っている行為とは言えないのではないか。むしろ「契約」というスキームで考えているからこそ、「契約破棄」としての離婚を選択する人が多くなっているのではないだろうか。過去の「恋愛感情を抜きにした結婚」は「有益な共同生活」を作っていないのではないか。

 

契約というスキームで結婚を考えるのであれば恋愛は欠かせないと思う。この文脈での「恋愛」とはトレンディドラマ的な惚れた腫れたではなく、「相手を知るためにデートや会話を重ねること」である。普通、企業でも契約のまえに支払い能力の有無などについての信用調査を行う。結婚という契約を交わすに足る相手なのか?ということを確かめる上で長い期間(まさに「病める時も健やかなる時も」)、時間を共にすることは必要だと思う。その意味で恋愛は結婚に必要だ。