「対立点があるから付き合わない」でいいの?

ここ最近、日中関係、日韓関係が悪化している、という報道が多い。そのような記事の中には「これ以上韓国や中国と仲良くする必要がない」というタイプの記事もある。これが先鋭化すると「戦争だ!」という過激な記事に変貌する。

なぜ仲良くする必要がないかといえば、利害関係の対立というよりも、歴史問題などを通じて信用出来ない国であることが明らかになったからだ、という意見が大半だ。つまり自分たちの歴史認識に同意していな=共通認識に達しない以上友好関係にはなり得ない、ということらしい。この手のサイトや発言者の多くが親日的な台湾との友好関係強化を訴えているのを見ても、歴史の見解などで共通認識に達する=対立点を無くすことが重要視されているようだ。

 

しかし、共通認識に達することがそこまで重要なのだろうか。対立点をなくさなければ国家間で協力することは出来ないんだろうか? このような考えは非常に幼稚だと思う。

第二次世界大戦において日本は韓国や中国を侵略した(これを「侵略」ではないというなら、世界中に侵略はなかったという認識になると思う)。「侵略―被侵略」の関係が終わってからたかだか60年程度しか経っていない。その両国で当時の歴史的事象に関する見解が異なるというのは当然のことだと思う。この対立が解消されるには時間が経過し、「風化」すること待つしか無い。つまり近日中に対立点を無くすることなどできない。

となれば、対立点があることを含みながら協力関係を築くことが一番賢い戦略なのではないだろうか? 「あいつ俺達のいうことに賛成しないから喋んのやめようぜ」とでもいうような選択は小学生なら許されるだろうが、隣国に対して一国家がするべき態度ではない。心にわだかまりを抱えながら、協力していく場面では握手をしていくような、そんな強かさを持つべきだ。相手の言うことに盲従するでもなく、潔癖症的に「仲良し」を求めるのでもなく、協力するところと意見をするところをきちんとわきまえた、そんな大人な国家になって欲しい。