「バカになれる映画」は凄い~マッドマックスと映画の画(え)~

マッドマックス~怒りのデスロード~を見てきました。立川のシネマシティの爆音上映で。煩くなく爆音で、エンジン音とかの低音が強調されていて、大変に良かった。

大変楽しい映画だったんだけど、一番関心したのは「バカになって見れる」点。

 

 

 マッドマックスは、この手の「知能が低下した」的な感想が多いんですが、よく考えると「知能が低下しても面白さを理解できる映画」って凄い。

なぜなら、マッドマックスは文明半壊後の世界を舞台にしているし、イモータンジョーの教団の支配体制とか、けっこう複雑に出来ていて、それらを理解しないと、映画のストーリーの理解ができず、見てもカタルシスが得られない作りになっているから。で、思い出してみると、複雑なストーリーを知能=言語能力を介さずに理解させるか、ということにおいて、とっても細部まで作りこまれた映画だったと思う。

例えば、イモータンジョーが最初に出てくる場面(1回しか見てないので、誤解があったらすいません)。イモータンジョーに鎧(みたいな装甲)を無言で部下たちがつけるシーン。部下たちの仕草や場の静謐感で、部下が恐怖によって支配されているというより、宗教的な崇拝感情によってジョーに従っていることがわかる。この前振りがあるからこそ、ニュークスがイモータンジョーをまるで神のように扱い、イモータンジョーの目の前で失敗してしまうことが、とても大きな喪失感を抱くきっかけになることが、違和感無く理解できる。

冒頭の5分位で「世界がいかに荒廃しているか」「どのように、イモータンジョーは民衆を支配しているか」「なぜ女性たちはイモータンジョーから逃げているのか」といった映画の基本的な疑問の答えが、セリフではなく映像を通じてさり気なく伝えるようにできている。だから頭を空っぽにしても見れるし、理解できるし、楽しめる。

 

マッドマックスは本当にセリフが少ない。でも全く違和感がないし、むしろその少なさが世界の厳しさ、フュリオサの孤独、ニュークスとケイパブルの愛情、そういった映画の風景を素晴らしく際立たせている。

自分が日本の映画やドラマを見て一番ガッカリするのは「とにかく登場人物がしゃべりすぎ」ということだ(ハリウッドにもそういう作品はあるが、日本ほどひどくないと思う)。登場人物が自分の気持ちや今の状況を口に出してしゃべりまくるので、想像力が働かないし、余韻もない。むしろ言葉が多いせいで本当に大切な言葉が埋もれてしまっているように感じる(マッドマックスと逆)。

マッドマックスはみんな野蛮になっている世界で、ほとんどの奴らはギャーギャー叫んでるだけ。だからこそ、言葉を通じて人と繋がることは稀少だし、言葉を通じてコミュニケーションを繰り返すことで、映画後半のマックスの表情はグッと人間らしくなる。それらを画だけで伝えるために、マッドマックスは非常に作りこまれていると感じた。

で、インタビュー読んでなるほどな、と。 

ミラー監督:実は編集のマーガレット・シクセルは、この作品を最初、サイレント映画として編集したんです。無声映画として成立する作品を作ることができれば、音楽とセリフを入れることでもっと迫力のあるものになる。わたしは、映画作りとは、“目で聞いて、耳で観る”ものだと考えているんですよ。 

「メタルギア」小島秀夫監督、神と対面!映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ジョージ・ミラー監督×小島秀夫監督 特別対談! - シネマトゥデイ

納得しました。ほんとうに素晴らしい映画なのでおすすめ。