曽野綾子氏の「薄さ」に愕然とした


曽野綾子さんインタビュー “差別でなく区別です” 「荻上チキ・TBSラジオ Session-22」 - NAVER まとめ

 

今回の曽野綾子氏の「差別記事寄稿問題」で最近特に思うのが、「知識階級の知識の薄さ」だ。

 

問題の記事や上記のインタビューまとめなどを読んでいて、曽野綾子氏が差別に関する基本的な知識や認識をまるで了解していないことに驚いた。彼女の差別に関する考え方は、そこら辺の中学生と同じような知識レベルであり、世界に対する想像力もそれと同じようなものだ。このレベルの人が一角の人物として新聞に寄稿しているのか、と思うと暗澹たる気持ちになる。

 

私は知識人が人種差別主義者であることに意外性は感じない。ただ、人種差別主義者であるならば差別に対する基本的な論説や問題を踏まえた上で、それを乗り越える形で人種差別の論理を展開するのが、「知識人」に求められる振る舞いだと思う。仮にも政治的にセンシティブな問題を新聞に寄稿するレベルの「知識人」であるならば、「差別ではなく区別」などという使い古された、そして不勉強であることが明らかであるようなセンテンスを使ってはならないだろう。人種差別について語るならば最低限の理論武装はしておいて欲しい。仮に、自分の言説が人種差別的であることを、書いていて読み取れなかったのであれば、その読解力や常識の無さに呆れる。

 

私は曽野綾子氏の寄稿そのものも当然問題だと思うがそれ以上に、「曽野綾子氏の寄稿に問題があると見抜けなかった産経新聞」「曽野綾子氏の文章を掲載しながらも「人種差別には反対する」という稚拙な言い訳をする産経新聞」「人種差別という問題に不勉強であるばかりか、無知であることを認めず傲慢な態度を取る曽野綾子氏」といった知的活動を担うべきと期待されるあるいは担っていると考えられているプレイヤーたちが、どれもこれも知的に「薄っぺら」であることの方が、問題が根深いと思う。