やっぱり「読まないけど馬鹿にする」でいいんじゃないか?


「読んでないけど馬鹿にする」でいいんじゃない? - 食う寝る起きる考える

という題名の記事を書いたら「じゃあ読んでないけどお前の記事批判するわ」と言われたので、色々補足を書く。

 

論点は「~~していない人間は~~をしてはいけない」と「批判していい人間を規定する基準」における、妥当性だ。

ライトノベルについて語るなら読まなくちゃダメだ、というのはなんとなく妥当に思えるが、何を読んだら「ライトノベルを読んだ」と判定できるんだろうか。今から書店に行って「Fate/strange Fake (1)」を読めば「ライトノベルを読んだ」と自称していいのか。「このライトノベルがすごい!」に載っている本を全巻読めばいいのか。「ロードス島戦記」まで読まなくてはならないのか。

「これを読んでいないならば、批判する資格が無い」というブックリストが仮にあるとしても、このブックリストは10人いたら10人違うだろう。なぜAという作品はライトノベルを批判する資格を得るために必要で、なぜBという作品は必要ではないのか。なぜCという作品を読むだけではライトノベルについて批判してはいけないのか(資格が得られないのか)。妥当な基準を誰もが納得できる形で作ることは出来ない。出来ない以上、そういった資格を作ることは間違っている。

もちろん「ライトノベルを批判できる資格の基準」を各々が持つことは自由だ。その基準に他の人が賛同してくれるかもしれない。でもそれは一般的な基準ではないし、そのような基準を持って他人に「お前には批判する資格が無い」と強制することは出来ない。出来るのは「~~をしていない以上、お前は~~する資格が無いと俺は思う」と言うことだけだ。その規範を相手が受け入れるかはわからない。

 

結論としては「お互い思ったことを言い合えばいいじゃない」ということだ。なんにも知らなくても批判することは自由だし、その批判に対して批判するのも自由だ。

"type-100 カジュアルに批判してもいいけどこちらもカジュアルに罵声を浴びせるので"

ほんと、それでいいと思う(罵声はどうかと思うが)。