大学の勉強は「役に立つ」


G型L型大学の区分に全面的に賛成する

L型大学とG型大学、一流以外は職業訓練校に ── 日本の教育と産業構造の行方は? | THE PAGE(ザ・ページ)

 

教育について、特に大学についての議論の中で「役に立たないことを教えていいのか」という議題は必ずと言っていいほど出ます。G型、L型の大学区分についての議論が、この論点の中では最新のトピックであると思います。しかし、この議論はそもそも決着がつきません。なぜなら「役に立つ」という単語が指している射程が殆どの場合議論している人間の間で異なるからです。

 

そもそも「役に立つ」知識とはどのようなものでしょうか。例えば、Excelのショートカットをたくさん覚えていることは仕事の上で結構役に立つでしょう。しかし、ショートカットキーの割り振りが変わったり、そもそもExcelを使わない職場に行くことになった場合役に立たなくなります。ビールの注ぎ方の習熟は特定の年代以上には効果があるでしょうが、限定的ですし、今後役に立たなくなる可能性が高いです。

翻って、経営理論はどうでしょうか?会社に入っていきなり経営理論が役に立つ局面というのはほとんどないでしょう。一方大学で教えるレベルの経営理論ならば長い間陳腐化しないで、有用性は保ち続けるでしょう。

 

知識や技能は「すぐに役に立つか」(即効性)と「どの程度の範囲まで役に立つか」(持続性)が反比例する傾向にあると思っています。学校の試験を考えて下さい。明日のテストの答えは、すぐに役に立ちます(暗記すればテストで満点をとれる)が、役に立つ範囲は狭い(明日のテストだけ)。一方、数学の理論を覚えることはすぐには役に立たない(明日のテストでその問題が出るかわからない)が、役に立つ範囲は広い(今後のテストや、他の単元で利用するかもしれない)。この法則は知識の分野がなんであれ、そして知識の担い手が誰(人だけでなく大学や国家などの集団も含む)であれ、友好ではないかと思います。総合大学の勉強(というか研究)は、入った途端に会社で使えたり、市場価値が高いようなスキルでない場合がほとんどです。しかし、それらで得た知識が役に立たないかというと、そんなことはないのではないか、と思います。それは「役に立つ」という範囲を狭く捉えているからではないでしょうか。

 

これは個人だけでなく国家でも同様です。最近の傾向として生命科学や工学など、今市場価値の高い学問に注力する余り、すぐには役に立たなそうな学問(法学とか文学とか)への資金提供が少なくなっているように思います。しかし、これらの学問においても優秀な研究者や研究機関を備えていることは、長期的な視野で考えたらとても役に立つと思います。