「死ね」は抗議ではない。暴力だ

安部首相が笑っていいとも!に出演。その時間に合わせてアルタ前に集まってデモしていた集団がいるらしい。別にデモはいい。好きにすればいい。でも「死ね」という言葉は最悪だ。それは抗議ではない。侮辱だ。

 

政治において重要な事は「相手に発言の自由を認める」ということだ。どんなに自分の気に入らない発言をしようが、相手が何者であろうが、その口をふさいではならない。これは権力者である/ないとは全く無関係だ。一般市民は安部首相に「死ね」と言って良くて、安部首相が「死ね」といってはいけないのではない。誰が、どんな相手に言おうと、政治の文脈では「死ね」は間違っているのだ。それは対話を、自由を、多様性を殺す言葉だからだ。「死ね」という言葉はデモではない、政治ではない、政治行為ではない。ただの暴力だ。

 

「死ね」と言った人は本質的に政治というものを「自分の思い通りに行く世界を作る」ことだと思っている(少なくともそう取られても仕方がない)。これは、彼らが反対してるであろう在特会に代表されるような差別主義者と何ら変わらない。対話による和解や共存ではなく、暴力による排除であり抹殺。それが「政治」なのか? それをもたらすためにデモをやっているのか? 残念ながらそんな人達が支持を得ることはないだろう。

この暴力的弾圧を支持している人間のアイコンにレインボーカラーがあるのが信じられない。何を思ってそれをつけているのか? LGBTを支持するかじゃない、それは多様性への寛容の証ではないのか?

 

僕は政治的人間でありたい、対話をする人間でありたいと思うので「死ね」とは言わない。ただ、二度と彼らには「寛容」とか「反差別」とか「反暴力」を語ってほしくない。