エビデンスベースドの前にやるべきこと

「エビデンスベースト」が日本の教育を変える〜中室牧子氏に聞く

 
この記事で語られているのは「人的リソース、金銭的リソースが限られている以上、教育の分野でも統計的なデータを取って、最も費用対効果のいい政策をうつべき」というもの。実にそのとおりだと思う。しかし、今の教育でやるべきはその前段階ではないだろうか? つまり、「教育とはどのような人間を育てることを目標にするのか」という基準を決めること。
 
エビデンスベースドは基準の上で、どの方法が最も効率よく目標を達成できるか、ということを測るのに非常に適している。しかし、エビデンスベースドは目標を決めることはできない。「どのような能力を持つ生徒が優秀であるか」という物差しを決めない限り、エビデンスベースドは有効に機能せず、異なった基準に対する最適な方法が乱立するだけで終わってしまう。
 
今の日本の教育問題の根幹には基準作りの失敗があると考えられる。過去の詰め込み型教育への反省から「生きる力」を育てるような教育(いわゆるゆとり教育)へとシフトしたが、学力テストの点数の低下などからその方向もすぐに修正され、学習時間も増加した。これら一連の迷走は、いったい「教育を通してどのような人間を育てることを目的とするのか」という基準が曖昧だったからに他ならない。もし、詰め込み型教育、ペーパーテスト重視を否定するのであれば学力テストの点数の低下は仕方ないと捉えるべきであるし、テストの点数の低下を批判するのであれば、応用的な学びの充実は捨てざるを得ない。これが迷走するのは政治の責任であるし、ひいては国民間での「いったい教育を通してどのような人間を育てることを試みることがいいのだろうか」という問いを熟成してこなかった責任でもある。
 
教育予算の効率性や次世代育成の強化においてエビデンスベースドは非常に重要であるし、これからさらに広がるべき考えであると思う。しかし、有効に機能するには「教育」という行為の意味や目的を国家内できちんと熟慮する必要があるのではないだろうか。