責任を取ること。原発の過去と未来について。

明日は3月11日。今から3年前に東日本大震災とそれに起因する原発事故が起こった。3年経って、東京にいて強く感じるのは「なかったコトにしたい」とでも言うべき、無関心だ。

 

あの事故は、多くの原因が絡みあった複雑なものであること、東京電力原子力研究の密室性が事態を悪化させた(今も悪化させている)こと、そしてそれらは一般市民が介入できない形で起こっていたこと、これらはすべて事実だ。しかし、福島第一原発が首都圏への電力を供給するために稼働していたこと、そして、自分を含めた東京都民もその恩恵に預かっていたことも事実。であるからには健康や安全における被害を被っていたとしても、別の一面では我々も加害者の側に立っているのだ。

しかし、その反省はひどく薄いように感じられる。それは3年経ったから風化した、というようなものではなく、事故から1年も経たないうちから「忘れたい、関係無いものとしたい」というような感情を私は感じている。それは、あの事故の時、そしてその後の節電の流れの中で「こんなに看板を光らせる必要はない」「今までのように室内の温度を上げたり下げたりする必要は無い」という気付きがあっという間に忘れ去られ、無意味な明るさと不必要な冷暖房がすぐに復活したことと無関係ではないと思う。あの日以降、電気を無駄に使うことは福島第一原発の事故への無反省を示すものと言えないだろうか。

 

 

「家庭用の電力の消費量より、企業の消費電力の方が多い。家庭の節電の影響は微々たるものだ」「自分一人が節電をしたところで、他の人が少し過剰に使えば無意味になってしまう」そういった指摘があることも理解できる。しかし、と私は言いたい。原発の無反省な使用への反省や贖罪とは、そういった経済効率性とは違う尺度で考えなければならない、と。新しいエネルギー政策や企業や公共機関の節電は経済効率性を重視して行われるべきだが、罪の贖いは効率という尺度では計れない。使っていない灯りを一つ一つ消す、暖房や冷房の温度を少し緩める、そういった一つ一つの行為の中に宿る。何kw削減できたか、という数字ではなく、常に反省をし続けることがあの日から続く災害の被害者への謝罪の身振りではないだろうか。選挙で脱原発を華々しく訴えるのもいいだろう。しかし、反省とはそういった一発逆転の振る舞いではなく、もっとずっと地道で長く、報われない所業なのだと思う。