無限に配慮しなくてはならないか?

今、Twitterで嵐のファン(あんまり嵐のファンだと言いたくないような人種ですが)がチケット当選の喜びのツイートをしている人たちを攻撃していると話題です。

「落選した人の気持ちを考えろ!」嵐ライブツアーのチケット当選者の報告ツイートに、ファンから非難殺到中 - NAVER まとめ

 

「~~の気持ちを考えろ」最近この言葉の効力というか威力が無制限に上昇している気がします。この一文で攻撃すれば相手が倫理観のない人間だと断定できそうな感じです。

 

しかし、これは無限の射程を持つ批判なのです。何かをする度にそれに傷つく人を想定するのは難しくありません。「Twitterなんかやりやがって、そういう時間も金もない人の気持ちを考えろ」「嵐のファンクラブに入りやがって、それを出来ない人の気持ちも考えろ」あらゆることに傷ついている人を仮定し攻撃できます。この論理で行くとTwitterではどこに行くという表明もダメ(いけない人がいるから)、音楽や映画の感想もダメ(聴けない、見れない人がいるから)、物を買う話もダメ(買えない人がいるから)。何も喋れなくなります。というか誰が何に対して傷つくのか事前には分からない以上、あらゆる行動は制限されます。

そしてなぜだかこの批判は妙な説得力を持っています。「おもいやり」「気遣い」という名目で他者を攻撃しているのに。

 

なのでいい加減匿名の傷ついた他社を持ちだして批判するのはやめましょう。自分がムカつくなら「お前の言ってることむかつくんだよ」と言えばいい。自分じゃ不安だからって大文字の他者を呼び出すのはやめよう。それは大変にずるい。