ノート

仕事でノートを使っている。B5のKOKUYOのCampusノート。黒。5ミリ方眼。ノートには思いついたことや簡単な計算なんかを書く。

集中してないな、と自覚したときは「集中しろ!」というフレーズをノートに書く。こう書くことで自分の状態を可視化できるので、ボーッと時間を無為に過ごすことが減ったような気がする。

今仕事を終えて帰っている。今日のノートを見返すと、ページの半分くらいが「集中しろ!」で埋まっていた。残りの半分は「がんばれ!」だった。

完全に頭おかしい人のノートだ。でもまぁ特に興味も関心もないことを仕事としてやってるのだから、ある意味頭の中おかしいといえばそうもしれん。

明日は「集中しろ!」を2行くらいに収めたい。

改憲を防ぎたいのなら、護憲派は「真実を教える」モデルから脱却すべき

 

 

 

 

7/10の参議院選挙で、自民党(与党)が議席の2/3の取ること、そしてそこから憲法改正へとつなげることを阻止すべく、憲法改正反対派=「護憲派」の人たちが、積極的なキャンペーンを繰り広げています。「反アベ」をスローガンに活動を行っていますが、現在の状態では、目標達成は困難であると言わざるを得ません。

その原因は「メディアが自民党寄りだから」でもなく、「投票率が低いから」でもありません。護憲派・野党の選挙戦略が、杜撰だからだと考えています。

まず、目標の難しさについて整理しましよう。 
参議院の全議席数は242。野党が目標とする「与党の議席率2/3(=162議席以上)阻止」を実現するには、参議院全体で81議席以上を占める必要があります。今回の選挙では、参議院議席数242のうち121議席を争います。非改選(今回の選挙では選ばない議席)の121議席のうち、野党は32議席。そのためには今回の選挙での野党の獲得議席数を49議席(獲得議席率41%)以上にしなければなりません。

前回(2013年)の選挙では、投票率が53%。投票のうち与党の得票率は68%、野党が32%でした*1
前回と同様の投票率・得票率であると仮定すると*2、「議席2/3阻止」という目的は果たせません。つまり、前回よりも多くの得票数を獲得する必要があります。
そのためには①与党支持者を野党支持に鞍替えさせる②前回投票していない(おそらく今回も投票しない)人たちに野党に投票させる、という策しかありません。①は難易度が高いため、②を実現することが現実的であると思います。前回と同様の投票率・得票率であると仮定すると、今回の選挙では【投票してない人:与党に投票した人:野党に投票した人】の比率は【47%:36%:17%】。これを【23%:36%:41%】にする必要があります。投票していない人のうち半数近くを野党に投票させるわけで、これはかなり難しいです。

このような難しいミッションを達成しなくてはならないのに、護憲派の人たちの選挙キャンペーンは、効果が低いと思います。それが特に現れているのがTwitter上の振る舞いです。
上の3つは護憲派の人たちのTweetの典型例です(RTが1000以上のTweetから抜粋)。
一番上のTweetは「大手メディアはいつもの選挙だと言っているけど、実はとても重要な選挙ですよ」と言っています。
次のTweetは「投票する際に、候補者の考えと自分の考えと完全に一致しているかどうかで判断して棄権しているかもしれないけど、実はそんな候補者はいないので、投票すべき」と言っています。
最後のTweetは「あなたは知らないかもしれないけど、実は自民党員はこんな発言をしています。だから投票すべきではない」と言っています。
このように、彼らのTweetは「(知らない人に)真実を教える」というタイプのコミュニケーションが多いのです。与党支持者の切り崩しや無党派層の取り込みのために、このTweetをしているということは、彼らは「無党派層の人たちも、選挙や自民党憲法について正しい知識をもっていれば、自然に【護憲・反自民】の立場に立つだろう(そして野党に投票するだろう)」と前提のもとに行動していると考えられます。

しかし、この前提が正しいのでしょうか?自民党を支持する人たち、投票に行かない人たちは、正しい知識が欠如しているからでしょうか?僕はそうは思いません。

経済状況が本当に苦しく、「ここで政権担当能力が低い野党に政権を任せ、更に景気が落ち込んだら会社が倒産するかもしれない」という恐れを抱く中小企業の社長が自民党に投票しているかもしれません。
政治信条的に自民党には投票できない、しかし野党の掲げる経済政策などに具体性が乏しく、こちらも投票する気にはなれない。悩んだ挙句投票しないという選択肢をとるかもしれません。

護憲派の人たちは、こういった人たちが存在することをまったく考慮していないように見えます。あらゆる情報を調べ、それをもとに思考して、その結果与党に投票する人。あるいは投票しない人。与党の議席率2/3以上阻止を目的とするのであれば、彼らのような人たちの投票行動を変える必要があるでしょう。しかし、彼らは護憲派がいくら「真実」を伝えても投票行動を変えないでしょう。
私はリベラルな思想の持ち主です。安倍政権の憲法軽視の姿勢には断固として反対です。しかし、雇っている従業員10人(とその家族)に対する責任を果たすために、自民党に投票する社長を「無知だ」「愚かだ」と批判することはできません。そういった個人的な考えを抑圧して、護憲のためだけに野党に投票することを迫る行為は、護憲派が批判する全体主義的なものに他なりません。そして、上記のような思考過程を経て野党に投票しなかった人たちを罵るような態度は、立憲主義を「金持ち・インテリの空虚空論」に見せてしまいます。それこそが立憲主義にとって最悪の結末と言えるでしょう。

護憲派に必要なものは、ビジョンです。護憲派を支持し、野党に投票することで、なぜ未来が明るくなるか、その道筋をはっきり示すべきです。
民進党選挙公報を見て愕然としました。候補者は「安倍政権で経済が悪くなった」と伝えるだけ。比例代表の広告では「国民(あなた)と進む」という薄っぺらなメッセージを言うだけ。自民党が、候補者は具体的な政策ビジョンを、比例代表の広告ではこれまでの実績を記載しているのとは大違いでした。本当に勝つ気があるのか、疑わしくなります。
護憲派・リベラルは、「なぜ自分たちは議席を伸ばせないのか」「なぜ自分たちのキャンペーンは無党派層に届かないのか」「なぜ自民党憲法を軽視するような言動を繰り返しながら、それでも支持を広げているのか」といったことに関して、もっと深く分析して、行動を変えるべきです。
しかし、以前の記事でも書いたとおり、リベラルの人たちは負けた時の言い訳がとても得意なので、行動の改善は望み薄かなあと。悲しいですが。

*1:朝日新聞デジタル:参院選投票率52.61% 戦後3番目の低さ - 2013参院選

*2:今回から選挙権年齢が引き下げられましたが、投票率が急上昇(あるいは急下降)する、得票率が急変するという可能性は低いと考えて、仮定を置いています

「バカになれる映画」は凄い~マッドマックスと映画の画(え)~

マッドマックス~怒りのデスロード~を見てきました。立川のシネマシティの爆音上映で。煩くなく爆音で、エンジン音とかの低音が強調されていて、大変に良かった。

大変楽しい映画だったんだけど、一番関心したのは「バカになって見れる」点。

 

 

 マッドマックスは、この手の「知能が低下した」的な感想が多いんですが、よく考えると「知能が低下しても面白さを理解できる映画」って凄い。

なぜなら、マッドマックスは文明半壊後の世界を舞台にしているし、イモータンジョーの教団の支配体制とか、けっこう複雑に出来ていて、それらを理解しないと、映画のストーリーの理解ができず、見てもカタルシスが得られない作りになっているから。で、思い出してみると、複雑なストーリーを知能=言語能力を介さずに理解させるか、ということにおいて、とっても細部まで作りこまれた映画だったと思う。

例えば、イモータンジョーが最初に出てくる場面(1回しか見てないので、誤解があったらすいません)。イモータンジョーに鎧(みたいな装甲)を無言で部下たちがつけるシーン。部下たちの仕草や場の静謐感で、部下が恐怖によって支配されているというより、宗教的な崇拝感情によってジョーに従っていることがわかる。この前振りがあるからこそ、ニュークスがイモータンジョーをまるで神のように扱い、イモータンジョーの目の前で失敗してしまうことが、とても大きな喪失感を抱くきっかけになることが、違和感無く理解できる。

冒頭の5分位で「世界がいかに荒廃しているか」「どのように、イモータンジョーは民衆を支配しているか」「なぜ女性たちはイモータンジョーから逃げているのか」といった映画の基本的な疑問の答えが、セリフではなく映像を通じてさり気なく伝えるようにできている。だから頭を空っぽにしても見れるし、理解できるし、楽しめる。

 

マッドマックスは本当にセリフが少ない。でも全く違和感がないし、むしろその少なさが世界の厳しさ、フュリオサの孤独、ニュークスとケイパブルの愛情、そういった映画の風景を素晴らしく際立たせている。

自分が日本の映画やドラマを見て一番ガッカリするのは「とにかく登場人物がしゃべりすぎ」ということだ(ハリウッドにもそういう作品はあるが、日本ほどひどくないと思う)。登場人物が自分の気持ちや今の状況を口に出してしゃべりまくるので、想像力が働かないし、余韻もない。むしろ言葉が多いせいで本当に大切な言葉が埋もれてしまっているように感じる(マッドマックスと逆)。

マッドマックスはみんな野蛮になっている世界で、ほとんどの奴らはギャーギャー叫んでるだけ。だからこそ、言葉を通じて人と繋がることは稀少だし、言葉を通じてコミュニケーションを繰り返すことで、映画後半のマックスの表情はグッと人間らしくなる。それらを画だけで伝えるために、マッドマックスは非常に作りこまれていると感じた。

で、インタビュー読んでなるほどな、と。 

ミラー監督:実は編集のマーガレット・シクセルは、この作品を最初、サイレント映画として編集したんです。無声映画として成立する作品を作ることができれば、音楽とセリフを入れることでもっと迫力のあるものになる。わたしは、映画作りとは、“目で聞いて、耳で観る”ものだと考えているんですよ。 

「メタルギア」小島秀夫監督、神と対面!映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ジョージ・ミラー監督×小島秀夫監督 特別対談! - シネマトゥデイ

納得しました。ほんとうに素晴らしい映画なのでおすすめ。

 

もはや話題にならない東日本大震災と原子力発電所事故について

この記事を書いている時点で、はてなホッテントリに上がっている49記事の中で震災関係は4つしか無い。

はてなブックマーク - 東日本大震災4年 東浩紀さん・川上未映子さん対談:朝日新聞デジタル

はてなブックマーク - 3月11日に想う…エンタメは人が生きるために必要なものなのか?ゲームやアニメなんかが本当に必要なのか?という話。 - Togetterまとめ

はてなブックマーク - Google 未来へのキオク - あの日から 4 年

はてなブックマーク - あれから、今日でちょうど4年経った。

 

たったの4年しか経っていないのに、もはや社会は、ほとんど興味も関心も無くなってしまったんだな、とつくづく思う。別に今日なにか特別な大事件が起こったわけでもないのに。

2011年3月11日まで、ほとんどの人は東京で使っている電気の一部が原子力発電所という施設で作られていることや、そのリスクに関して都合よく忘れていた。なぜ福島にあるのか、そこではどのような形で地域と原発が関係しているのか。知ろうと思えば知ることが出来たが知らんぷりをしていた。そして大事故があって4年経って、また知らんぷりだ。

 

24時間365日考えることはムリだろう。考えたって問題は複雑すぎるし、当事者じゃない人たちは解決することも出来ない(当事者でも難しい)。でも、今日この日だけは、「これまで」と「これから」について考えるべきじゃないだろうか。「問題が複雑だから」「考えても解決するとか限らないから」「福島の人間じゃないから」「あれは天災だったから」「事故を事前に予測することは出来ないから」……。福島や原発のことを考えなくてもいい理由なんていくらでも思いつくからこそ、考えるべきではないか。

 

事故のことばかり考えて悔やんでもしょうがない、前に進もう。その意見は正しい。ただ、前に進めばいいってものでもないだろう。何もかも忘れて、無視して、目をそらして、なかったかのように、前に進むのは「悪」であると言いたい。

意識低い料理おじさんの道具選び


料理オッサンの道具選び

 

簡単に料理する、というタイプの記事は定期的にホッテントリに上がってきて人気ある(しかし実現できない)んだなあ、と感じさせます。ライフハック系の記事と同じ系列ですね。

自分はほぼ毎日自炊をしているのですが、ここに書いてあるような良い道具を持っていません。ハンドブレンダーとかフードプロセッサーとか使ってません。じゃあなにを使っているのか。

 

小さめの片手鍋

和平フレイズ ダブルマーブル IH対応片手鍋18cm WR-6293

和平フレイズ ダブルマーブル IH対応片手鍋18cm WR-6293

 

最も使用頻度が高いのが、マーブルコートの片手鍋(ブコメにも書きました)。

@nifty:デイリーポータルZ:ミルクパンがあればなんでも出来る

ここの記事を見てくれればわかりやすいのですが、この鍋1つでほぼ日常の料理全てができます。会社から帰って毎日料理するとなると、そこまで複雑な料理は作れません。そこまで複雑でないなら、これ1つで十分です。

 

 口径の大きいフライパン

和平フレイズ ダブルマーブル IH対応 フライパン 22cm WR-6777

和平フレイズ ダブルマーブル IH対応 フライパン 22cm WR-6777

 

フライパンは 開いた鶏もも肉を焼き付けたりする時に使います。なので片手鍋より口径が大きい物を。あまりに大きいと使いづらいので、自分は22cmを使ってます。これもマーブルコート。ある意味使い捨て感覚でガンガン使ってます。

 

ステンレスの包丁

ヴェルダン 三徳庖丁 165mm OVD-11

ヴェルダン 三徳庖丁 165mm OVD-11

 

 包丁はメンテナンスが楽なステンレスを。鋼はカッコいいですが錆びやすい。ステンレスの三徳包丁一個で、大概の料理はできます。シャープナーか砥石を使って2週間に1回くらい研ぐとずっと切れ味が保てて料理しやすい。切れない包丁はストレスになるし危険なので研ぎましょう。

 

まな板(プラスチック)

適当にスーパーで買いましょう。まな板は包丁ほど料理のクオリティに影響しません。お金があるならオリーブのカッティングボードとか、檜のまな板とか代えばいいと思いますが、木製はちゃんと乾かさないとカビるので、プラスチックでいいんじゃないかなと思います。メンテナンスが楽。

 

100均のタッパー(中くらいのもの)

一人暮らしの料理で困るのが、スーパーで食材を買って作ると確実に余ること。かと言って同じものを何日も食べると速攻で飽きます。なのでタッパーで保存するのは大事。

タッパーは電子レンジOKでスタックできるものを買いましょう。電子レンジで使えると、皿を出さずに済む(=洗い物が少なくて済む)ので便利。スタックできると場所を取りません。大きさは小さいと入らないし、大きいと邪魔なので中くらいのを。

 

ざる

  

 

ミズリードII 18-8両手付丸型ザル 24cm 足付 SH9013

ミズリードII 18-8両手付丸型ザル 24cm 足付 SH9013

 

 

 野菜炒めを美味しく作るコツはしっかり洗った後、野菜の水分をしっかり払うことです。ということで意外とざるは使います。切った野菜とか置いておけるしね。ボウルは普通の皿で代用できますが、ざるは代用できないので持っておきましょう。

自分が持っているのは上記のものとは違いますが、取っ手などがあってフックに引っ掛けられるものだと、狭いキッチンで場所をとらなくて済みます。意外とでかくて邪魔なのだ、ざるは。

 

メンテナンス重視で選ぼう

そこまで料理が好きじゃない人が、料理を定期的にしようと思うと、できることがたくさんある道具よりも、メンテナンスが楽な道具の方が価値は高いと思います。なので管理しやすい道具を買いましょう。

マック食べてる?~一次情報に触れる意味~

 

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

 自分が何かと目を通す本の1つに、この本がある。この本を読んで理解してある程度実践できるようになった今、ステマでも何でもなく、仕事のスピードが倍になったと思う。

 

この本の中に「一次情報を大事にしろ」という文章がある。現場に直接赴くことによって、新聞や論文ではこぼれ落ちてしまう情報を掬うことができる。それは明確な仮説を立てる上で、大変重要である、という内容だ。

 

はてなブックマークをよく見ているせいか、最近一次情報の大事さが本当に身に染みるようになった。はてなブックマークソーシャルブックマークなのでどうしても二次情報になる。最近では新聞記事に言及したまとめサイトのブックマークコメント、など「もはや何次情報だ」というものに触れることが多くなってきた。もちろんこういったN次情報も役に立つことが多い。でも、N次の情報で頭がいっぱいになって、本当に自分の言葉で、自分の感覚で述べる事ができる事象が減っている気がする。これは危険なことだと思う。誰かが言ったことを思い出して繰り返すマシーンになってはいけない。

 

最近、マクドナルドについての報道を見ると、「あんな不味いもん食えないよ」という言及が多いし、人気も高い。僕もそんなもんかなーと思っていた。でも「一次情報に触れたほうがいいな」ということでマクドナルドに行って、食べてきた。

久しぶりに食べたマクドナルドは美味くもなってなければ不味くもなってなかった。昔と変わらないマクドナルドだった。期間限定商品の「ハワイアン バーベキューポーク」も値段相応に美味しかった。僕の舌は(自己分析だが)実に普通の感覚だと思う。ということは、マクドナルドの売上が下がっているのは、マクドナルドが不味くなったからではないんだろうし、期間限定商品が仮に売れないとすれば、味を改善しても意味はなさそうだな、ということが予想できる。この予測は現場に行って食べないと自身を持って言うことが出来ない。

 

インターネットで頭でっかちになりやすいからこそ、現場に行って体験するって大事だなあ、とすごく感じる。

曽野綾子氏の「薄さ」に愕然とした


曽野綾子さんインタビュー “差別でなく区別です” 「荻上チキ・TBSラジオ Session-22」 - NAVER まとめ

 

今回の曽野綾子氏の「差別記事寄稿問題」で最近特に思うのが、「知識階級の知識の薄さ」だ。

 

問題の記事や上記のインタビューまとめなどを読んでいて、曽野綾子氏が差別に関する基本的な知識や認識をまるで了解していないことに驚いた。彼女の差別に関する考え方は、そこら辺の中学生と同じような知識レベルであり、世界に対する想像力もそれと同じようなものだ。このレベルの人が一角の人物として新聞に寄稿しているのか、と思うと暗澹たる気持ちになる。

 

私は知識人が人種差別主義者であることに意外性は感じない。ただ、人種差別主義者であるならば差別に対する基本的な論説や問題を踏まえた上で、それを乗り越える形で人種差別の論理を展開するのが、「知識人」に求められる振る舞いだと思う。仮にも政治的にセンシティブな問題を新聞に寄稿するレベルの「知識人」であるならば、「差別ではなく区別」などという使い古された、そして不勉強であることが明らかであるようなセンテンスを使ってはならないだろう。人種差別について語るならば最低限の理論武装はしておいて欲しい。仮に、自分の言説が人種差別的であることを、書いていて読み取れなかったのであれば、その読解力や常識の無さに呆れる。

 

私は曽野綾子氏の寄稿そのものも当然問題だと思うがそれ以上に、「曽野綾子氏の寄稿に問題があると見抜けなかった産経新聞」「曽野綾子氏の文章を掲載しながらも「人種差別には反対する」という稚拙な言い訳をする産経新聞」「人種差別という問題に不勉強であるばかりか、無知であることを認めず傲慢な態度を取る曽野綾子氏」といった知的活動を担うべきと期待されるあるいは担っていると考えられているプレイヤーたちが、どれもこれも知的に「薄っぺら」であることの方が、問題が根深いと思う。