感想:ミゲル・ストリート

 

ミゲル・ストリート (岩波文庫)

ミゲル・ストリート (岩波文庫)

 

1950年代、トリニダード・トバゴのミゲル・ストリートを舞台とした短編集。

出てくる男性は大抵働いてないし女子供はすぐに殴るし、で碌な人ではない(今の基準に照らせば)。ただ、貧困の中にも、自分たちを突き放したような乾いたユーモアがある。そのユーモアは英国から米国に植民地の管轄が移るなど、自分たちではどうしょうもない流れに色んなことがコントロールされてしまう悲哀が通底してるのかな、と感じた。

短編の一つに駐留するアメリカ軍の軍人と親しくなることでどんどんアメリカかぶれになる男の話がある。軍人と「どちらがより下品な言葉で話せるか競うように話した」という場面が特に印象的で、妙に甘酸っぱい読後感があった。

 

解説によると著者のナイポールは、晩年には「トリニダード・トバゴは西洋に比べて遅れている」というタイプの考え方を持つようになり、同じカリブ海出身の後輩作家たち(彼らもナイポールの作品を読んでいた)から批判されることになるらしい。この作品に感じられる住民達から一歩引くような冷めた書き方を、さらに突き放すように発展させると、そういう思想に辿り着くのかもしれない。一方で、この短編集には「一見して無能なものと共に生きる」というテーマの作品も多い。そういった部分がカリブ海の後輩作家に響いていたのかもしれない。

「野球離れ」を食い止めるにはまず調査では?

toyokeizai.net

 

上記事では、少子化よりも早いスピードで進行する小学生・中学生の野球人口減少について、懸念を示している。

そもそも野球人口が減っている原因は何なのだろうか。文中では下記のように言及されている。

原因としては、地上波でのプロ野球中継の激減、野球ができる遊び場の減少、格差社会が進行する中での親の負担の増加、競合するスポーツの増加、そして「昭和の体質」が抜けない野球のイメージ悪化、などが考えられる

 

もちろん、それぞれが原因である可能性は高いが、より重要な要因を特定しなければ、効果の高い施策を実施することはできない。例えば、低下を食い止める策として子供向けの野球教室等を取り上げているが、本当にそれは対策として効果的なのだろうか?

子供向け野球教室が効果的な状況は「子供たちが野球をやることの楽しさを知らない」という状況が野球離れの主要な原因になっている場合だ。しかし、いくつかの記事を見てみると他の要因のほうが大きいのでは?という疑いが出てくる。

headlines.yahoo.co.jp

 上記の記事では、子供が少年野球に前向きだとしても、金銭的・時間的な負担の大きさから両親(特に母親)が敬遠している様子が書かれている。もしこれが主要な原因であれば、子供に野球教室をやっても野球離れの改善は難しい、

headlines.yahoo.co.jp

この記事では興味深いことが書かれている、小学生〜高校生までの野球人口は減少傾向にあるが、大学では増加傾向にあるというのだ。

中学、高校とは対照的に、大学硬式の部員数は増加している。2007年の2万人から2018年には2万9千人に増加(45%増)し、過去最大になった。なお、日本人男子の大学進学率は増加しているが、少子化の影響もあり、大学に進学する男子数自体は増えてはいない。

 大学生は高校生以下の年齢と違い親が金銭的・時間的な負担をほとんど負っていない、と予想される。とすれば、ますます「少年少女ではなく両親が野球を避けている」という可能性が高くなる。

 

ここまで書いてきたことはすべて仮説だ。しかし、こう考えると、「野球離れのメカニズムについてよくわかっていない」ということがわかる。だから、野球離れを防ぐための次のステップは「子供に野球を習わせることをやめてしまった親へのヒアリング調査」や「野球以外の習い事(特にスポーツ)をさせている親へのヒアリング調査」であるべきだと思う。しかし、調べたところそういった調査はおろか、高校生以下の野球人口について全体を把握している組織すらないらしい。そのような状態では、情報の共有もできないだろうし、改善は難しいだろう。

最初の記事にも書かれていたように、野球の競技人口減少を食い止めるには、プロから小学生まで各組織が連携することが必要だ。そしてなによりも現状の把握が必要である。

 

説得されるための時間

 

この記事を読んでとても「現代的だな」と思った。それは、本の筆者が「説得される」というプロセスがごく短時間で行われるものとみなしていること。事実と論理が示されたらすぐに説得されるはずだ、と考えているように見える。だからすぐに説得されないと「事実や論理では説得できない」という理屈になってしまうのではないか。

 

自分に置き換えて考えると、自分の意見を変えるというプロセスはもっと時間がかかるものだ。まず、説得してくる人や提示されたデータを疑って、そこから色々なデータに触れたりすることで徐々に説得されていく。「A

が正しい」から「Bが正しい」にすぐに移り変わるのではなく、その間には「Aが正しいと思ってるけど前よりも自身が無い」とか「Bが正しそうな気がしてきた」といった中間的な状態を経ている。意見が変わる時間は何週間とか何年とかそういう単位でかかる。

「説得して意見を変えるには時間がかかる」ということを頭に入れてコミュニケーションを取ることが、大事なのではないかと思う。

 

書評:ハックルベリー・フィンの冒けん

 

ハックルベリー・フィンの冒けん

ハックルベリー・フィンの冒けん

 

 

トム・ソーヤーの冒険」は子供の頃に何回か読んだ。しかし続編であるこれは初めて読んだ。

記憶にある「トム・ソーヤーの冒険」と比較して、皮肉めいた物語は減り冒険の疾走感が非常に高まってるように思う。あとがきでも書かれていたように「トム・ソーヤー」が三人称の物語なのに対して本作は一人称。ほとんど無学で万事を即興で乗り越えるハックルベリー・フィンの語りだからこそのグルーブ感だと思う。

そして柴田元幸の翻訳が実に素晴らしい。ハックルベリーは聖書や偉人伝を誤って覚えていて、それを共に旅するジムに物知り顔で伝えるのだが、そこのおかしみが、難しい漢字は全部ひらがなになっている訳文とマッチしている。

 

書評:トヨタ物語

 

総評

生産現場の系譜からトヨタの歴史を辿ろうという試みは良いと感じた。ただ、トヨタへの肩入れが強いことと全体構成に不満が残る。

 

良かった記載

ベンチャー時代のトヨタの描写が豊富

トヨタ自動車といえば今や日本のトップ企業だが、創業当時はベンチャー企業だった。そのあたりの話がエピソードとともに載っているのが興味深かった。

トヨタが自動車生産を始めたのが1937年くらいからで、開戦までトラックがバンバン売れていたのに戦時ではトラックが軍に徴発されちゃうから民間企業がトラックを買わなくなったとか、戦後のインフレに耐えられず倒産の危機になって労組との争いの結果社長が辞めたりとか、ベンチャーらしく時流に揉まれながら生き抜いていた。

トヨタ生産方式といえばカンバンとかジャスト・イン・タイムとか色々言われているが、煎じ詰めると「ベンチャー企業が大企業(GMとかフォード)と戦って生き延びるための方法論」なんだ、ということが時系列で追うとよくわかる。ベンチャー企業であるトヨタ自動車は資金的に余裕がないので仕入れた材料を早く売って売上を立てて資金ショートさせない必要がある。なので仕掛かり品をできるだけ減らす必要があるし、不良品も無くさなくてはいけない。在庫が減れば倉庫代もかからなくて済むし。そこから始まった、と考えると大量生産による原価低減の逆を行くような仕組みも腑に落ちる。

大野耐一がなぜトヨタ生産方式を具現化できたのかわかる

トヨタ生産方式を思いついたのは初代社長の豊田喜一郎だが、工場の生産ラインのなかで具現化していったのは大野耐一(とその弟子たち)である。ではなぜ大野耐一が具現化できたか、というと紡績工場での経験があるから、ということがわかる。紡績工場という異分野の生産体制を理解した上で自動車工場に落とし込んでいたのでイノベーションが起こった、と考えられる。

 

疑問に感じた記載

トヨタへの批判に適切に応答していない

書籍の中ではトヨタトヨタ生産方式に対する外部からの批判が記載されている。だが、著者はその批判に対して実態を調べることなく「理想的なトヨタ生産方式ではこうはならない」「トヨタ関係者はこのように話している」といった記載を繰り返し、疑問に適切に答えていない。

例えばトヨタがいわゆる「下請けいじめ」をしているのではないか、という批判についてこのように書いている

トヨタに限らず、メーカーの人間は協力会社の人間に「お前のところは下請けだから」といった表現を使うことはない。メーカーの人間は協力会社がなければ自分たちがなりたたないことをよくわかっている。(中略)

だが、政治家、マスコミ、仕事の現場を知らない大多数の人は大企業に製品を納入する業者を「下請け」「孫請け」と呼ぶ。実際の現場でそういう呼び方をする人は、ほぼ、いないにも関わらず……。(P.281-282)

このようにトヨタがまるでそういう行いをしていないかのように書いている(直後にも「トヨタは元々過酷な要求をしていない」と書いている)。しかし、相手をどう呼ぶかはともかくとして「下請けいじめ」的な実態があることは下記報道等から明らかである。

トヨタに「異議あり」 新日鉄住金と2重価格:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39889090Q9A110C1000000/

ノンフィクション作家とはいえ、ここのバランス感覚が明らかにトヨタに傾いており、非常に違和感がある。トヨタにならって「現地現物」で実態を把握するべきではないか。

もしくは、取材に協力してくれたトヨタを批判する文章が書けないなら、世間に対する反論を無理に書く必要はなかったと思う。

山場がよくわからない

物語の最初にトヨタアメリカ初の工場ケンタッキー工場の話が挿入されており、いち読者としては「ケンタッキー工場という国も人種も違う人たちに対するトヨタ生産方式の移植が、本の山場なのかな」と期待して読んだ。しかし、そこはかなりサラッと語られてしまう。後半からは生産方式を広める人たちの人物伝や豊田章男の半生になってしまい、生産方式が各現場でどのように進化していくのか、移植していくのかというテーマはあまり触れられないのが残念だった。

雑誌連載をもとにしてる以上仕方ないとはいえ、もう少し全体構成に工夫が欲しい。

AI人材の育成よりもAI人材が活躍する環境整備が大事

政府、AI人材年25万人育成へ 全大学生に初級教育:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42932250W9A320C1SHA000/

 

このところ、「AI人材」を育てよう、という目的の政府主導の取り組みをよく見る。報道を見る限りAI人材というのはプログラミングを通じて機械学習アルゴリズムなどを作成したり活用したりできるスキルを持った人、という感じだ。

もちろん、AIを使って社会を豊かにしていくためには、今後このようなAI人材は一定数必要になるだろう。しかし、AI人材が活躍するためには周囲の環境を整えることの方がよほど大事なのでは?と思う。

例えば、AIを有効に使うためには「AIを使ってなんかいい感じにしてくれ」というような丸投げな関わり方ではなく「この問題を解決するためにAIによるデータ分析の結果を活用しよう」と具体的に考える上司(などの意思決定する人)が必要になるだろう。あるいは、機械学習アルゴリズムなどにとって一次データの質がとても重要であることを理解し、データの精度向上や収集に協力してくれる関係者も必要になるかもしれない。AI人材が単体でいればうまくいくのではなく、組織全体でAIに関するリテラシーが向上することで、初めてAI人材も活躍できる。逆に、そういったリテラシーが低い組織に「AI人材」を入れたところで、彼らが価値を発揮することは難しいだろう。

日経新聞を読んでいると、様々な問題が語られたあとで「AIの活用によって解決を図る」といった意味の文章をよく見る。あたかもAIを導入すれば自動的に問題解決されるような書き方に感じる。そんな魔法の杖のような「AI」を期待して「AI人材を育成する」と言っているのであれば、都合が良すぎる発想だ。管理職や直接AIの設計に携わらないスタッフ含め、問題解決の一ツールとしてAIをとらえ、組織的にリテラシーを上げる取り組みを行わなればAI人材は活用できずに終わるだろう。

カフェをやる若者

自分の家の近くにカフェがある。そのカフェは静岡市内に3つも店舗を構えていて、どの店もいつもお客がいる。

新聞や雑誌の記事では「地方消滅」なんて煽情的なキャッチコピーで地方都市と大都市(東名阪)が比較されている。でもそんな地方都市にもカフェを開いて大きくしていっている若者がいると思うと、消滅なんていうワードが本当に正しいのか?という気がしてくる。もちろん静岡市は地方といっても県庁所在地なので、若者の減少が起こるにしても周辺よりもゆるやかなのだろうけど。

 

身を貫く春一番の紺屋町エスプレッソ待ちに流れるエミネム